斉藤正美(さいとうまさみ)
「○○氏」「△△さん」呼称の男女区別は必要ですか? 内閣府「男女共同参画の視点からの公的広報の手引き」(2003年3月)をはじめ、川崎市、大阪市、福島県がこのような呼称の基準を含む広報のジェンダー・ガイドラインを策定した。1996年に私たち(メディアの中の性差別を考える会)が『きっと変えられる性差別語―私たちのガイドライン』を提案したときは、政府がガイドラインを策定することなど想像もできなかった。実際、これまで情報発信に関する基準がなかったために、権威を示す「氏」を男性に、親しみを表す「さん」を女性にという区別をわざわざ設けたり、官房長官を「女房役」と呼ぶなど男性優位のメッセージが堂々と広められてきた。
一方、アメリカでは、情報に基準を設けるガイドライン運動は30年前から取り組まれ、男女格差解消に成果を上げてきた。1990年代に起きた「PC(政治的な妥当性)」キャンペーンは、運動の成果に脅威を感じた勢力が起こしたバックラッシュであった。しかし、行政や学会、企業、メディアなどアメリカ社会による30年間の地道な情報ガイドラインへの取組が、日本では注目されてこなかった。その一方で、ガイドラインの取組を「PC」と揶揄するバックラッシュが起きた途端に、日本のメディアはおもしろおかしく報道した。私たちの理解もこの情報格差の影響を免れていないだろう。
情報は力である。もし、ジェンダー視点により「セクハラ」「買春」などの言葉が新たに生み出されなかったとしたら、セクハラや買春を「犯罪です」と追求できただろうか。日本でも男女格差解消への反発が起きるだろうが、それは言葉が些末な問題だからではない。言葉や情報の影響が計り知れないほど大きいからである。ようやく出発点に立った日本における「情報とジェンダー」の動向から目が離せない。
※PC:ポリティカリー・コレクト(politically correct)。「政治的に正しい」という意味。米国において正義を主張する平等化推進策(特に言語変革運動)に対して、反対派が“行き過ぎたやり方”として揶揄的に用いたレトリック。
プロフィール
1951年富山県生まれ。学術博士。富山大学非常勤講師。「メディアの中の性差別を考える会」代表。情報発信をジェンダー視点で問い直す研究や実践活動をしている。著書に『メディアに描かれる女性像ー新聞をめぐって』(桂書房)、『きっと変えられる性差別語ー私たちのガイドライン』(三省堂)など。
松本侑壬子・ジャーナリスト
『ホテル・ハイビスカス』(日本映画/92分/中江裕司監督)
やったね! 中江裕司監督。前作『ナビィの恋』で、破れてから60年後に成就する恋を描いてみせてから4年、今度は8歳のわんぱく少女の痛快な日常を通して生きるってすばらしい!とまたもや私たちの胸を揺さぶるのだ。
舞台は前作同様に沖縄で、海辺にぽつんと立つ古ぼけたホテル・ハイビスカス。客室は一つだけで、あとはヒロイン・美恵子の3世代同居の一家が住んでいる。ホテルを経営しながら夜は現金収入のためにバーでも働いている美人で働き者の母親。三線(さんしん)とビリヤードが生きがいの父親、黒人とのハーフである兄(にぃにぃ)、白人とのハーフである姉(ねぇねぇ)、いつもくわえタバコの気のいいおばぁ。それに、行き倒れ状態だったのを美恵子が助けて連れ帰った風来坊の青年も今では家族同然である。
美恵子は今日も忙しい。学校から帰ると子分の2人の少年を引き連れて森へ探検に出かける。ガジュマルの木に宿るという精霊キジムナーを捜し出そうというのだ。色浅黒く瞳に力があり、見るからに生命力の塊といった美恵子。怖がり屋で弱虫の男の子たちも彼女に「ついておいで」と言われると、鉄条網の破れから米軍基地の内側にでも森の奥にでもへっぴり腰でついて行く。未知のもの、禁じられたものがあればあるほど、子どもたちには冒険がいっぱい。ひるまず向かっていった先には、実際不思議な光景や思いがけない人物との出会いが待っている。
米軍キャンプの内側に残る廃屋で出会った怪しい女の人は、死んだ猫の皮をはいで食べる「まやー食いおばぁ」に違いないと思ったら、本当は野良猫たちの世話をしにこっそり通っている心優しいおばさんだった。子どもたちを見つけてジープに乗せてキャンプの門まで送ってくれた黒人兵が、まさかにぃにぃの実父だとは。美恵子らは冒険に継ぐ冒険にわくわくの毎日だ。
海の青、森の緑、強烈な太陽、夜の深い闇の中には、迷信も呪いも祈りも願いも愛情さえ深々と横たわっている。それを“科学的に”解明しようとするよりも、不思議は不思議のままどうなってるの? と尋ねてみずにはいられないのが少年少女の好奇心である。実際、父親に背負われて家に帰る途中に美恵子のまぶい(魂)が“落ちて”しまい父親があわてて道を引き返したり、美恵子自身第二次世界大戦中に死んだ少女(叔母)の魂と会話したりするのだ。沖縄の自然の中で生きとし生けるものの生命と交感しながら豪快にユーモラスに仲間をリードしていく美恵子。“女らしく”などという枠に閉じ込められることなくのびやかに“私らしさ”を謳歌する姿として忘れがたい。
美恵子ののびやかさは家庭のあり方の反映である。とりわけ、太陽(てぃーだ)母ちゃんの影響は大だ。父親の違う3人の子それぞれにたっぷりと愛情を注ぎ、家族を支える大黒柱であるが、自分を犠牲にして尽くすというわけでもない。家族を残してねぇねぇと2人で旅行し、アメリカから美恵子にばかでかい目覚まし時計を送ってきたりする。そんな母親をおちゃめで自由な大人の女性として、美恵子はすてきだと思い信用している。
自由と愛情のバランスが見事な母親像が魅力だ。
最近、スローライフとかスローフードとか、「スロー」をキーワードにした言葉が注目されている。“ゆっくり、のんびり”ということに価値を見いだそうというスローライフの考え方は、10年くらい前からヨーロッパを中心に広がってきたものだ。スピードや効率を求め続けてきたこれまでの暮らし方から180度の発想転換は、ここに来てようやく、人間らしい生き方とは何かに気づき始めた現れだろう。
ところで、成人学習の現状をみると、趣味・教養講座や単発の講演会などいわゆる手軽に知識や技術を得るものが主流を占め、学習者自身が考え気づき成長するようなじっくり型の講座は、残念ながらあまり多くない。
エンパワーメントのための学習は、思考する“ゆとり”やコミュニケーションする“豊かな時間”が欠かせない。
今、学びのスタイルにも「スロー」な視点での見直しが必要ではないだろうか。
子育て支援のNPOを立ち上げたAさんが、「会のしおりが出来たので」と持ってきた。若い人たちのグループらしく、イラストも随所に入れて見やすく、活気が感じられるものだった。ところがある個所に目が釘付けになってしまった。子どもを挟んで、エプロン姿の母親と、紺の背広姿の父親。むむっ、これってまさに性別役割分業。Aさんは決してジェンダーの視点のない人ではない。むしろ若手には珍しいくらいそうした学習会に積極的に参加している。そのAさんにして…。「ジェンダーの視点の定着と深化」の難しさと大切さを感じた出来事だった。
当方でも「ジェンダーとメディア・リテラシー」「表現とジェンダー」をテーマにワークショップを行ったことがある。テレビCMの中のジェンダー・バイアスを見つけようというワークをしたときのこと。「いろいろな立場・年齢層があり、顔を合わせて一緒に学習することのすばらしさをあらためて感じた」というある参加者の言葉が心に残っている。自分だけでは気づかないことをほかの人の見方から気づかされる―そんな学習機会と仲間の大切さを思った。