2004年7月号(No.621)特集号 男たちの育児と育自
- 巻頭言:男たちの育児と育自/渡辺秀樹
- 誌上アートギャラリィ:フォトエッセイ Jigsaw Puzzle 22/落合由利子
- 研究レポ−ト:「育児」と「育自」を考える−父親の子育て体験から−/土堤内昭雄
- 学習情報クリップぼ〜ど:「子育てランチタイム講座/海老名市立子育て支援センタ−
- シネマ女性学:『誰も知らない』
日本映画(141分)/是枝裕和監督
子どもの自活と大人の役割/松本侑壬子 - 活動情報(1):日本男性の家事参画の現状とその対策
「男も女も育児時間を!連絡会」の調査を通して/松田正樹 - 活動情報(2):男の育児‐キ−ワ−ドは“仲間”
男の井戸端会議「パパスクラブ」/門田欣也 - Women's View:
育児について思うこと‐育児休業の経験から/榎隆之
男性保育士になって/畑中祐二 - 今どき学習ウォッチング:厳しい、男性の育児環境
- このひと:理事林康司さん(NPO法人「みんなのそら」)
- きょうのキーワード:パパクォ−タ制
- 資料情報:「出生前後の就業変化に関する統計」の概況
- なるほど!ジェンダー:男性の子育てを阻む周囲のまなざし/イラスト:高橋由為子
巻頭言
男性の子育てにおける時間と空間の拡がり
渡辺秀樹(わたなべひでき)
男性の子育て参加について、2つのことを述べたい。1つは時間的拡がりである。例えば、子ども(特に男の子)の思春期こそ父親の出番だという言い方や、父親の出番が必要なのはいつですかという質問がある。仮に思春期において父親のかかわりが重要だとしても、そこに至るまでの父親と子どもとの関係の蓄積がなければ、いきなりかかわろうとしても、うまくいくとは思えない。男性の子育て参加を、プロセスとしてみることが大切と考えている。現代では女性も同様であるが、子どものときに乳幼児に接したり、世話をするという経験が、特に男性において希薄である。子育てをする準備がまったく不十分なのである。男性の子育て参加を論ずるときには、父親になる前のいわば予期的社会化(anticipatory socialization)・親準備教育をどうするかが大きな課題であるし、そして父親になってからの参加的社会化(participatory socialization)を蓄積的なプロセスとして見ることが求められるのである。子育てはイベントではなく、プロセスである。
2つ目は、子育てを空間的・社会的拡がりの中で考えたいということである。自分の子どもにかかわるのは、まずは出発点として重要であるのはもちろんであるが、家族を地域につなぎ、地域の子どもたちをサポートする<地域の父親になる>ことが大切であろう。自分の子どもがいなくとも、あるいは巣立ってからでも地域の子どもたちの父親にはなれる。大人は、知らないおじさんに気をつけよう、と言うだけでなく、地域に知っているおじさんを増やすことで、地域の安全を高める責任がある。子育てに参加するというのは、子どもと共に家族に閉じこもるということでは決してない。
プロフィール
1948年新潟県生まれ。東京大学文学部助手、電気通信大学助教授を経て、慶應義塾大学文学部助教授の後、同大学教授、現在に至る。専門は家族社会学・教育社会学。共編著に、渡辺・稲葉・嶋崎の『現代家族の構造と変容』(東京大学出版会、2004年)、編著に『変容する家族と子ども』(教育出版、1999年)などがある。
シネマ女性学
子どもの自活と大人の役割
松本侑壬子・ジャーナリスト
『誰も知らない』(日本映画/141分/是枝裕和監督)
今年のカンヌ国際映画祭で日本の中学3年生、柳楽優弥君が主演男優賞を受賞した。14歳の同賞受賞者は史上最年少記録だという。大きな瞳、りりしく知的な表情にどこか幼さの残る甘さもあって、試写を見たときから「大物」の予感は確かにあった。それが世界に通じる魅力と立証されたようでうれしい。もちろん、映画そのものがすばらしいという前提での話ではあるが。
今月号の本誌は「男の子育て」が特集だが、あいにく、本作品には父親は登場しない。それどころか、シングルマザーの母親だって、途中から突然姿を消してしまう。残された12歳の長男以下4人の子どもたちが東京のど真ん中で、誰にも知られぬままサバイバルした実話の映画化である。1988年、東京・巣鴨のマンションで発見された4人の幼い兄弟姉妹は、母親に置き去りにされた後、半年間も子どもたちだけで仲よく力を合わせて暮らしていたのである。
母親の蒸発の理由は、恋愛である。そう母親自身が長男に告げる場面がある、まるで独立宣言をするかのように。好きな人ができたの。私だって好きな人と一緒に暮らしたい。それって、いけないことなの?私は幸せになってはいけないの?と。そのとき「権利」という言葉を母親が使ったかどうか、はっきりとは記憶にないが、しかし、彼女はその場面でしっかりと息子の目を見据えて、上記のように言ったのだ。明らかに自分自身の幸せを追求する権利を子どもたちのために邪魔されたくない、と主張していた。強く印象に残る場面であった。
では、母親(YOU)は、目を覆うばかりの残酷非道な“鬼母”(=児童虐待記事でよく使われる言葉だ)であったか?是枝監督は母親をそのようには描かない。父親の違う4人の子どもたちを一人で引き受け、働きながら育てている母親は、むしろノー天気でこぎれいで、結構抜け目ない。子どもたちとは、まるで友達同士のように転げまわってふざけることのできる、そんな母親だ。子どもたちはお母さんが大好きである。
蒸発してからも、しばらくは長男宛てに現金書留が届き、子どもたちは置き去りにされたなんて考えていない。しかし戸籍のない子どもたちは学校にも行けず、マンションの中で人目を避けて暮らさざるをえない。長男・明(柳楽)だけが外界とのパイプ役で、買い物から用足しから行き届いた目配りぶりで、一家を背負って立つに十分な頼もしさである。
そんな生活にも小さな事件や諍いが起こり、生活の重みがじわじわと迫り始める。一度、明に友達ができかかるが、コンビニで万引きのできない明はすぐに仲間外れだ。送金が止まって以来、明は食べ物の調達に苦労し、シャツは薄汚れて穴が開き、髪の毛が伸び放題に。それでも福祉に助けを求めなかったのは、4人がバラバラに保護されることを恐れたからだ。そして、ウソのように何気なくやってきた幼い妹の死。スーツケースに入れた小さな遺体を明が運んで行った先は…。
暗い話と言えばそのとおりだが、見終わってのこのすがすがしさはどうだろう。子どもの命の力こそ希望である。父親や母親に育てられない子どもは確かに不幸だが、その不幸をも乗り切る力を子どもが内包するうれしさ。それを発見するのも、もう一つの現代の子育て問題なのかもしれない。
いまどき学習ウォッチング
厳しい、男性の育児環境
海外赴任の妻の代わりに育児休業を1年とった男性が知人にいる。以前のように残業ができないと嘆いていたが、40歳になってできたわが娘の成長をうれしそうに語る彼は、輝いている。仕事ができる男性は数あれど、保育園の送り迎えもすべて父親だなんて拍手喝采だ。もっと男性もわが子のために休みが取れる職場風土ができれば、少子化の歯止めにもなると思うが、実際には男性労働者の育休取得率はわずか0.33%だ(女性は64.0%)。
しかし休みを取りにくい労働環境や性別役割意識に基づいた職場環境、賃金ダウンや出世への影響を考えれば、男性ばかりを責めることはできない。逆に男性は育児を経験する権利さえ奪われてきたとも言える。
さて、知人の彼にも大きな悩みがある。男親が育児相談や育児グループに入るのは女性より敷居が高く、男親の育児疲れなんて共感してくれる人も少ないというのだ。男同士の子育てサークルが普通にできて、仕事と子育ての両立も選択できる、男女のどちらにとってもやさしい社会はまだ夢なのだろうか。