2001年5月号(No.583)特集「どうつくる子育て支援」
- 巻頭言:これからの子育て支援に向けて/三沢直子
- 研究レポート:幼児・児童期におけるジェンダー形成/相良順子
- 学習情報クリップぼ〜ど:サポートグループ「子育てがわからなくなるとき」(大阪府立女性総合センタ)
- シネマ女性学:『アカシアの道』
日本映画
母と娘の絆と葛藤/松本侑壬子 - 活動情報(1):子どもジェンダー探偵団/宇恵佳世子
―ジェンダー・フリー意識の萌芽をめざして - 活動情報(2):「家族を考える講座〜少年にとっての家族」を実施して/百瀬道子
- Women's View:
おもちゃから見る性差の発生/北島一恵
子どもたちに豊かな育ちの場を/大槻美沙子 - このひと:田上時子さん(「女性と子どものエンパワメント関西」理事長)
- きょうのキーワード:ファミリー・サポート・センター
- 資料情報:女子と男子のジェンダー意識調査/高松市女性センター情報誌「びびふぁい」担当
シネマ女性学
母と娘の絆と葛藤
松本侑壬子・ジャーナリスト
『アカシアの道』(松岡錠司監督/90分)
母親と娘の葛藤を描いた映画は70年代あたりから次々と主に欧米の作品に登場し始めた。娘が母親のエゴの犠牲になるといった娘の視点からのものがほとんどである。日本には戦後のある時期一大ブームになった「母もの映画」という独特なメロドラマの伝統があるが、これは母親の自己犠牲が後に子供の幸せという形で報われるという作りになっており、前述の母娘の葛藤とは趣を異にする。
近藤ようこの劇画を原作にしたこの作品は、娘の告発でもなくメロドラマでもなく、現代の母と娘の関係を等身大でリアルに描き出す。幼いころから母親の圧倒的な支配下にいた娘が母を乗り越えるとき―どんなに仲のよい母娘でも世代交代は自然の理ではある。とりわけ娘が母親から受けた心の傷を抱えている場合、母親にも娘にも大きな試練となる。
娘が老いてゆく母親と真正面から向き合うとき、かつて母から受けた抑圧の場面が鮮やかに蘇る。母の愛を求めて満たされなかった記憶は容易に憎しみに変わる。だがそれでも男へ逃げても捨てきれない母への思い―複雑な娘の気持の底をカメラはまじまじと見詰める。母と娘とは何か。愛とは何か。自立とは何か・・・。この映画は、まったくもって他人事ではない。
物心つく前から母と二人暮らしで育った美和子は30歳。大学に入ると同時に逃れるように家を出て、今は小さな出版社の編集者として張りのある毎日。数年前、小学校の教頭を定年退職して一人暮らしの母親加奈子がアルツハイマーを患っていることを知り、実家に戻る。早くに離婚した母親の、女手一つで娘を大学まで出してやれたのも教員という経済的自立あればこそという誇りと自負は、「お前も教員になり母子家庭でも立派にやっていけるんだと世間を見返してやれ」という叱咤激励となり、美和子を追い立てる。
美和子は幼児から母親にやさしくしてもらった記憶がない。近所の美しいアカシアの並木の下を通るときも、手をつないでもらうことすらなく、すたすたと先を歩く厳しく正しい母親の後ろから懸命について行った。
そんな母親がウソのように急激に老いてゆく。呆けながらも「お前のためを思って」といまだに娘を支配しようとする。会社を休んで介護をしながら逃げ場のない葛藤の毎日に疲れ果て、美和子は我知らず母親の首を絞めようとさえする。限界にまで追い詰められた母と娘を救ったのは思いもかけない赤の他人だった。そして、呆けた母親が昔の恋人と勘違いしたその青年の荒涼たる心の闇を癒すという不思議。
子どものころ母と歩いたアカシアの道。今も白い花房は甘く香るが、老いた母は散る花びらを雪と見まがう。目に染みる薄緑色の梢のトンネルを見上げながら美和子は「私がしてほしかったことを、してあげる」と母親と手と手を重ねるのだ。娘が母を超える美しいラストシーン。画面からふとアカシアの香りをかいだような気がした。