松本侑壬子・ジャーナリスト
『フィラメント』(日本映画/108分/辻仁成監督)
作家・詩人・ミュージシャン・映画監督と多面体の活躍で知られる辻仁成の監督第3作(原案・脚本・音楽も)である。自分の居場所がつかめず苛立った26歳の青年を主人公に求心力のない現代の家族の崩壊と再生を問いかける。
すぐキレるので仲間から“フィラメント(=切れやすい電球)”と呼ばれている今日太(大沢たかお)はたくましい肉体を持て余し、定職もなく仲間と町をうろつく毎日だ。しかし仲間のように「生きる実感を得るため」と称して“おやじ狩り”をするほど無分別ではない。家は住宅街の古ぼけた元風呂屋で、今は喫茶店を兼ねる「澤田写真館」である。
25年前に父篤次郎(森村泰昌)が改造し転業したのだ。母の加子は10年前にパチンコ屋で知り合った若い男と駆け落ちしたまま不在である。妹の明日美(井川遥)はやくざ者と結婚していたが別れて家に戻り、引きこもり状態だ。
こうした状況設定の中で話が進むにつれて、まるで玉手箱を開くように意外な場面が次々に展開する。かつての家庭劇では“異常”であり“わざとらしい作りごと”とされたことが、今では“決してありえないとも限らない”のである。例えば―。夜、歩いてきた今日太が薄暗い街灯の下に立っている厚化粧の女を見つけるとその手をつかんで連れて行こうとする。抵抗する女性ともみ合っていると巡回中の警官が来て見とがめ、交番へ。釈放された二人はなぜか一緒に帰宅する。ぶつぶつ今日太と言い合いながら鏡に向かいカツラを外し化粧を落とすうちにさっきの女性は実は男、いや今日太の父親・篤次郎だったとわかる。
昼間は元浴室のスタジオで富士山の壁画を背景に幸せ(そう)な家族の写真を撮っているが、自らはこうして半ば崩壊した家族の修羅を抱えている。篤次郎の女装が妻の出奔を促したのか、妻の不在が彼をして女装へと誘ったのかは不明だが、ともあれそれが今では彼の生き甲斐である。タイル張りのスタジオの、昔カランのあった辺りにはずらりと篤次郎自作自演の“女優になった私”ポートレートが飾ってある。篤次郎役の森村は実際、名作絵画や有名女優のセルフポートレートで世界的に知られた実践美術家であり、これほどの適役はない。篤次郎が鏡に向かい男から女へ、またその逆へと変身してゆく様は森村自身のイメージと渾然一体となってどきりとするほど刺激的である。そんな父親を疎む今日太が、唯一家族らしい気持になるのは明日美に対してである。夢遊病で夜中に屋根の上に立ち尽くすネグリジェ姿の妹を見守るとき、今日太は甘い責任感に満たされる。
突然加子がやつれた顔で帰宅する。身勝手な母親に怒りをぶつける今日太を篤次郎は「何があっても家族は家族だから」となだめ妻をかばう。家を飛び出した今日太は親友の拳銃殺人、ビルからの墜落死で大ショック。すがるように明日美と今まで胸に秘めていた思いを打ち明け合い「生きる実感」を得る。その明日美が別れた元夫に強姦される。復讐にはやる今日太を抑え自らナイフで娘の仇を討ったのは篤次郎だった。父親役割を放棄したかに見えた“自由人”が初めて見せた父の怒りだったが…。家族再生へ向けて必ずしもハッピーエンドで終わらないところが切なく現実的である。