上遠恵子(かみとおけいこ)
1962年、アメリカの海洋生物学者であり作家でもあったレイチェル・カーソン女史は、『沈黙の春』(Silent Spring)という本の中で、化学物質による環境汚染に警鐘を鳴らした。私たちはこの本によって環境問題への目を開かされたと言える。しかし、出版当時、カーソンへの風当たりは強かった。非科学的だと言う科学者もあった。彼女はすでに科学者の目と詩人の心を併せもつ科学読み物作家としての評価を得ていたが、男性中心の企業社会に生きる者にとっては認めたくないテーマだったのだ。『沈黙の春』の巻末に載せられている千編を超す参考学術文献をみれば、非科学的だとする批評がいかに偏見であるかがわかる。
科学技術の進歩は、豊かさと便利さをもたらしてくれた反面で汚染と破壊を地球的規模で広げた。カーソンは、“私たちは母の胎内に宿ったその時から化学物質の呪縛のもとにある”と言っている。1996年まさにその呪縛を実証した本『奪われし未来』(OurStolenFuture)が出版された。著者はWWF(世界野生基金)科学顧問の、動物学者テオ・コルボーン女史。環境ホルモンと総称される内分泌撹乱化学物質が人間を含めた生きものの生殖、行動、精神活動にまで影響を及ぼす実態を正確に描き出している。偉大な2人の女性は共に、幼いころから自然に親しみ、地球が人間だけのものではないと体験的に感じていた。経済の言葉ではなく、生命の言葉で文明のありかたを語り、科学者として野生生物の生命に影響のある人間にもかかわるのだと訴えている。私たちはレイチェル・カーソン女史が遺したメッセージと、75歳にしてなお精力的に研究し警告を発し続けるコルボーン女史の意志を受け継いでいかなければならない。私は現実と未来をしっかりと見据えて心は豊かに簡素な生活を心掛けていきたいと考えている。
プロフィール
1929年生まれ。(NPO)レイチェル・カーソン日本協会理事長、エッセイスト。
大学研究室勤務、学会誌編集、短大講師を経て、1988年同協会設立に参加。1999年NPO法人となり現職。レイチェル・カーソンの作品『潮風の下で』『海辺』『センス・オブ・ワンダー』などの翻訳、その思想を語り継いでいる。ドキュメンタリー映画『センス・オブ・ワンダー』に朗読者として出演。著書に『レイチェル・カーソンその生涯』(かもがわ出版)、子安美知子との対談集『生命の樹の下で』(海拓舎)など。