2004年1月号(No.615)
- 巻頭言:少子化の歯止めはジェンダー・フリーの実践から/門脇厚司
- 誌上アートギャラリィ:フォトエッセイ Jigsaw Puzzle 16/落合由利子
- 研究レポート:あらためて女性差別撤廃条約の実現へ―日本政府レポートの審議から―/近江美保
- 学習情報クリップぼ〜ど:情報受・発信力アップ講座/北区女性センター
- シネマ女性学:風の舞―闇を拓く光の詩/松本侑壬子
- 活動情報(1):2000年に開催した「Japan Global Forum 」のその後/渡辺晴子
「女性とメディア」に関しての討議に絞って - 活動情報(2):性別・世代を超えた交流をめざして/三谷洋子
「NEW'S」の活動 - Women's View:
離婚で始まる子育てプロジェクト/川久保圭子
「Welearn」とともに/藤土京子 - 今どき学習ウォッチング:講座付き保育
- このひと:「フォトグラファー」川崎けい子さん
- きょうのキーワード:女性のチャレンジ支援策
- 事業レポート:2003年度「女性の学習の歩み」実践・研究レポート選考結果報告
- なるほど!ジェンダー:テレビゲームは「男性文化」花盛り/イラスト:高橋由為子
巻頭言
少子化の歯止めはジェンダー・フリーの実践から
門脇厚司(かどわきあつし)
昨年7月、「少子化社会対策基本法」と「次世代育成支援対策推進法」がほぼ同時に制定された。この二つの法律が同時に立法化され直ちに施行されることになった背景には、わが国の人口減少に一向に歯止めがかからないことへの焦りと、経済の活力を浮揚させ維持するためには、しかるべき数の生産人口と消費人口を確保することが不可欠であるという認識があったことは間違いない。本音を言えば、女性には専業主婦として家にいてほしいのだが、背に腹は代えられない。どうしても働きたい女性には働いてもらうことにし、子どもを産み育てることが働き続けるための障害になるという理由で子どもを産みたがらない女性たちを少なくすればいいはず。そう考え、地域ぐるみで子育てを支援することにしたのが二つの法律の最大の狙いである。
しかし、それだけで少子化に歯止めがかかるだろうか。地域ぐるみで子育てを支援してくれることになったから子どもを産もうと考え、実際に子どもを産む女性が増えるだろうか、私には、到底そうなるとは思えない。女性が進んで結婚し、わが子を産み、喜んで子どもを育てる気になるためには、何よりもまず、徹底してジェンダー・フリーを実現することである。あらゆる場所で、あらゆる機会に、女性に対する差別的な扱いを一切なくすことが先決である。そうすることで、女性たちが、いつどこで何をしても、「私たちは大切にされている!」と実感できる日が現実とならないかぎり、女性たちが進んで結婚し子どもを産み育てるという選択をするはずはない。新年に当たり、世の男性諸氏はそのことをしっかり肝に命ずべきである。
プロフィール
1940年中国の青島市生まれ。小学校入学前まで北京で育つ。小学校から高校卒業までは山形県の庄内で過ごす。淑徳大学、日本経済新聞社、東京教育大学助教授を経て、1991年から筑波大学教授。専門は教育社会学。(社)日本女性学習財団理事。本年度は大学院の人間総合科学研究科で「ジェンダー・フリー教育論」を開講している。主な著書に『子どもの社会力』(岩波新書)、『社会力が危ない!』(学習研究社)、『学校の社会力』『親と子の社会力』共に(朝日選書)、『教育ルネサンスへの挑戦』(ラボ教育センター)等多数。
シネマ女性学
絶望から生まれた人間賛歌
松本侑壬子・ジャーナリスト
『風の舞 ― 闇を拓く光の旅』(日本映画/55分/宮崎信恵監督)
ハンセン病と聞いても若い世代にはピンと来ないかもしれない。でもそれはこの病気に対する差別がなくなったから、というわけではない。ただ、知らないだけ。らい病とも呼ばれる不治の恐ろしい病とされたこの病気にかかると、人は老若男女を問わず世間と隔絶された施設(療養所)に強制的に入れられ、実名を伏せ家族とも会えず、死ぬまでそこから出られなかった。いや、遺骨になっても故郷に帰ることを許されなかった人も多い。
戦後この病気が治るとわかり、治療薬ができてからでさえ、「らい予防法」(1953〜96年)の名の下に患者の人間性は踏みにじられた。「風の舞」はそうした悲惨な一生を送った人々を弔うための石の記念碑だ。瀬戸内海の小さな離島にある療養所・大島青松園の丘の中腹に円錐系の端正な形の塔が2基並んで海風を受けて建っている。
詩人・塔和子さんは12歳のときに発病、翌年この島の療養所に隔離され、60年近くをここで暮らしてきた。親や姉弟から引き離された少女は、毎日ひとり浜にたたずんでは海の向こうの故郷を思ったという。30歳ごろから書き始めたという詩は、すでに18冊の詩集となり、そのうちの1冊は詩壇最高の高見順賞を受賞した。今70歳を超えて同じ浜辺から海を眺める車椅子の塔さんは、まるで苦悩を超越したような穏やかな顔である。
“ながくつらい夜にいたから/貧しい食卓を知っていたから/苦悩のくさりにつながれていたから/眠りのすばらしさ豊かに食べることの喜び/とき放たれるこころの輝くような楽しさを知った/私が生きるためになめつくした/かぞえきれない辛いもの/…私は醜をそしゃくする故に/誰よりも豊かに身ごもる鬼子母神”(朗読・吉永小百合)
戦後の1946年に特効薬プロミンが開発され、塔さんも1963年に完治した。今は視力の低下が進む中を、元気なうちに自作の全集を出したいと意欲に燃えている。塔さんに詩を書くきっかけを与えた10歳年上で歌人の夫は、手厳しい批評者でありまた最もよき理解者でもある。最初の詩集の出版には当時文通相手だった女子高生との出会いがあった。
彼女は塔さんの詩を印刷会社社長の父親に見せ、感動したその父親が第一歌集「はだか木」をはじめ次々に出版、詩集はH氏賞候補にもなるなど社会的にも高い評価を得たのである。24歳で結婚、共に病む身でつがいの鳥のように暮らしてきた。だがまた、“あるとき死のうと思った私が夫に/「一生懸命なのよ」と言うと/夫は「おなじ一生懸命になるのなら/生きることに一生懸命になってくれ/がむしゃらに生きようではないか」と言ってくれた/私は目が覚めたようにそうだと思った…”という場面もあった。
らい予防法が廃止される前後から島を訪れる人々が多くなった。療養所内の教会に来る牧師も熱烈な読者の一人。牧師を動かした塔さんの詩は、“かかわらなければこの愛しさを知るすべはなかった”で始まり“ああ何億の人がいようとも/かかわらなければ路傍の人/私の胸の泉に枯葉いちまいも落としてはくれない”で結ばれている。この力強い人間賛歌の詩に、最近疲れてしらけ気味の私はどやしつけられたような気がした。
◆上映の問い合わせは、共同映画(03-3463-8245)まで
いまどき学習ウォッチング
講座付き保育
「“講座付き保育”って聞いたことある?」。いつも学習現場のエピソードを聞かせてくれる人からの電話でのこと。乳幼児を子育て中の母親たちの閉塞感を物語る現象ではあるが、ともかく子どもを預けられるのならば中身は問わず何でも学習してしまうという、何とも健気な、いや、見方によっては公的学習を手玉に取ったたくましい話ですらある。社会教育施設に保育室を設け、保育ボランティアの人たちと両輪で子育て期の女性の学習権保障の整備をしてきた歴史を知る者にとっては、目を白黒しそうな「講座」と「保育」の逆転現象だが…。
“保育付き講座”からの降格、すなわち母親の不満やストレスのガス抜きのための託児利用を放置しておくことは、一時のリフレッシュで再び「母役割」に封じ込めることに他ならない。母・子の煮詰まった病的な関係への解決策には程遠く、ある意味で母にも子にも残酷で不幸でさえある。託児というオアシスを求めて「学習渡り鳥化」している母親の実態にしっかり切り込める学習の場、子育て支援が提供できるかどうかが、今、問われている。